ランボルギーニ

エンブレムについて

ランボルギーニのエンブレム・ロゴには「Charging Bull」と呼ばれる猛牛が描かれています。
創業者のフェルッチオ・ランボルギーニの星座がおうし座で、定期的に闘牛のイベントに参加するほど強い興味を持っていたそうです。
また、当時ブランド戦略を任されていたパオロ・ランバルディがエンブレム・ロゴの誕生と由来に関係したといわれています。
1972年にデザインされたエンブレム・ロゴは、現代もほとんど変更されていません。

フェラーリの対抗心から誕生

創業者のフェルッチオ・ランボルギーニはエンブレム・ロゴの猛牛と同様、激しい激情家でした。彼は第二次大戦後、軍払い下げのトラクターを修理して販売で儲け、自らも製造を行うように財産を築き上げます。同時期にボイラーとエアコンの会社も設立しており、商才にあふれた人物だったのでしょう。
トラクターで財産を築き上げた後、様々なスポーツカーを集めるようになり、その中にもちろんフェラーリも含まれていました。
彼が所有していたフェラーリ250GTの修理を依頼した際、冷たい対応を受けたことに憤慨。また、自らフェラーリのクラッチを修理した際、自社が製造していたトラクター用部品が使われており、それが約10倍の価格で販売されたことに激怒。これらのエピソードの結果、フェラーリに対して強い反発心につながりました。
フェラーリを超えるスーパーカーを作るため、自ら自動車会社を立ち上げ、開発にはフェラーリを辞職したビッザリーニなどを迎えます。
1963年のトリノショーに出品されたのが、350GTVです。最高速度は280km/hでフェラーリの関係者も驚愕したほどでした。
しかし、フェルッチオ自身がフロントデザインを気に食わなかったらしく、途中で展示を中止してしまいます。その翌年に350GTを、そのすぐ直後に400GTを生み出しました。
1974年にオイルショックの影響から、フェルッチオ・ランボルギーニの手から離れ、1978年には一度倒産するなどありましたが、現在はアウディの傘下に収まっています。

車の名前にも猛牛が

ランボルギーニは猛牛のエンブレムだけではなく、車の名前にも由来しています。

ミウラ

ランボルギーニの傑作のひとつミウラは、伝説の闘牛牧場のオーナー、ドン・アントニオ・ミウラにちなんで命名されました。このミウラ以降、ランボルギーニは闘牛関連の車名が続きます。

ウラカン

ウラカンはスペインでハリケーンを意味していますが、直接的な由来は1879年にスペイン・アリカンテで行われた闘牛で活躍した牛から名づけられました。